朗読コラム 朗読コラム

投稿日2017.09.12
朗読コラム  

いつも私の拙い朗読コラムをお読みくださり、有難うございます。

 

 

これは、朗読稽古屋ことつぎでお配りしている教材の一部です。

 

画像クリックで拡大します

 

一つ一つのことばをおろそかにせず、イメージを大事にしながら声に出してみてください。

最初は、あまり深く考えず、まずは直感でやってみるのがいいでしょう。

 

直感的な「イメージ」には、多くの「先入観」が付きまといます。

「赤い」ひとつと取ってみても、ふと思い浮かぶのは

 

◎美しい薔薇の真紅

だと言う方があるでしょう。または、

◎生々しい流血

である方もいらっしゃるでしょう。

はたまた、

◎信号機の一色

だと思う方もあるかもしれません。

 

すると、それぞれ別の

「赤い」

に対する表現があってしかるべきでしょう。

 

また、

 

「明るい」

 

は、ポジティブなイメージが浮かぶのがごく自然ですが

もし、登場人物がひどくふさぎ込んでいる時なら、他人の明るさや、陽の明るさに、むしろ打ちのめされてしまうこともあるのではないでしょうか。

だとしたら、そ明るさ、登場人物にとって残酷でネガティブなものです。

前後の脈略によって、「明るい」のニュアンスも変わりますね。

 

同様に

 

「暗い」

も、画一的ではありません。

夜を待って、逢瀬をする恋い焦がれる同士のカップルには

暗さは色彩豊かなロマンスを演じることでしょう。

 

けれども、闇夜の何ひとつ見えない辻で、猛獣のうめき声が聞こえてきたら、それはどんな恐ろしさを秘めた暗さでしょう。

 

「暗い」にも多くのバリエーションがありそうですね。

 

 

ことばには「イメージ」があっても、そこに限界がありません。

だから、読み手もイメージに限界を作ってほしくないのです。

沢山の解釈をして、あれこれ試してみて、その上で、バランスや自分のやり方というものを確立させていってください。

 

「この話はこういう話」

「私はこういう風にしか読みたくない」

 

という決めつけや拒絶をするより、イメージという無限の宇宙の中を彷徨ったほうが私は楽しいと思います。

彷徨い、迷子になりながら、ふんわり着地してもらいたいな、と私は考えています。

 

 

よく教室で、こんな遊びをします。それは、

 

『真っ黒なものを思い浮かべながら「真っ赤」と声に出す』

 

なんていう他愛ないことなのですが(今すぐ試してみて?)

 

これ、なかなか深いのですよ。

何だか気持ちが入らず、うまく言えないんです。

嘘の自白をしているみたいな???

なんとも心もとない心境になるのです。

人は本来、偽りを発語しにくいものなのですね。

 

と、云うことは、

 

誠のことは言いやすい!

 

と考えることもできます。

 

 

昔から

 

「講釈師、見てきたような嘘をつき」

 

などと、言いますね。

 

場面を本当に見ているかのように、または、本当に作者や詩人の心の中に入ったように、まざまざと思い浮かべて声に出すと、きっとそれはリアリティを伴う言葉になるでしょう。

けれども、それは、どのように見ようと、見つめる者の自由なのです。

 

 

こんな夢を見た。
 腕組をして枕元にすわっていると、仰向あおむきに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭りんかくやわらかな瓜実うりざねがおをその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、くちびるの色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然はっきり云った。自分もたしかにこれは死ぬなと思った。    

夏目漱石「夢十夜」より「第一夜」冒頭

 

 

皆さんが思う「静かな声」とは、どの程度の音量でしょう。

長い髪とは、背中のあたりですか。腰のあたりですか。

 

 

皆さん、物語の中を歩き、自由に見つめて、、、、

見てきたような「本当」を吐く(つく)朗読師になってくださいね!

 

 

 

※このコラムは不定期に更新しています。

次回は

 

「朗読は門戸が広くて奥行きも広い」

を予定しています。

 

 

 

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投稿日2017.09.6
朗読コラム  

地の文(会話以外の説明や叙述)と、登場人物や動物の科白。

 

交互であったり、多種多様な登場キャラがあったりすると、読書をしていて、筋についていくのがはかどらず、苦労することがありますね。

ただ、自分のペースで読む『黙読』であれば、文章を行きつ戻りつして、何度でも読み返すことができるので、いずれ解決も可能です。

 

 

ところが、朗読の聞き手の場合、そうは行きません。

 

地語り→キャラA科白→キャラB科白→地語り

 

のような場面で、読み手がずっと同じ調子だったら、聞き手はかなり混乱しますね。

そして、一度混乱してしまったら、あっと言う間に物語の世界から放り出されてしまいます。

 

 

皆さんは気をつけて朗読していますか?
また、解決する方法を、思いつきますか?

 

 

声だけの一人語りの話芸、という点で一致する『落語』では、女房、棟梁、子供など、一人で何人も演じ分けていますが、案外、声色はあまり変えていません。

(個人差はあります)

 

落語には、「上下をふる(かみしもをふる)=左右を見て向かい合っているかのように会話をする」という芸当があります。

書籍に目を落として読み進める朗読とは、そこが大きく異なりますが、それでもしかし、落語は目で見ず録音だけを聴いている時でも、しっかり話を把握できるように仕込まれています。

 

すると、聞き手の混乱を防ぐための術は、「上下をふる」以外にも方法がありそうですよね???

 

私が思うに、噺家さんは、「性格」を設定して声の出し方のムードを変えているのです。

 

口を尖らせている、甘えん坊の男の子

亭主のだらしなさに、やきもきする気の強い奥さん

腕っ節が良くて、度量のある棟梁

 

などなど、それぞれに、性格を吹き込み、その人のムードが醸し出される喋り方の速度、声の大きさ、語尾のディテール、などを施しているのですね。

 

声の出し方を変える、と言うのは、作った声色を出す、無理に自身とは異性の声(女が男声、男が女声)を出す、ということだけでもないのだと気付かされます。

 

作品中、さまざまなキャラが登場することで、話に奥行きがつくられます。

 

清楚な人

あわてんぼうな人

ひねくれた人

おおらかな人

ギスギスした人

ずるい人

 

、、、、、、などなど、奥行きを更に広げるため、キャラクターの持ち味をうまく突き止めましょう。

そうすれば、自然にその性質を加味したムードで読みたくなるのではないでしょうか。

 

物語には性格の無いキャラクターは一人(一頭)も登場しませんから、よく読み込めば必ず突き止めることができるはずです。

 

「性格」と「性格」

が織りなすのが

「会話」

とも言えるし、

「性格」と「環境(地)」

「物語」

織りなしていくのではないでしょうか。

 

性格の見えて来る「会話」

コレ、大事です!

 

 

大事にする。

それには、作品を深く読み込むということが、なにより重要ですね。

 

より深く物語性を掘り下げる

 

朗読する方には、必ずこの癖をまず最初につけて頂きたいと思うのです。

技術はそこから先のステップです。

 

 

練習してみてください↓(自由にプリントしてください)

●銀河鉄道の夜(宮沢賢治)より

「地の文」「母親」「ジョバンニ」の読み分け

あなたは、この二人をどのような性格と設定しつつ読むのでしょうか??

キャラ作り、楽しんでください!

 

 

 

 

 

 

 

※このコラムは不定期に更新しています。

次回予告

 

「自分に限界を作ってしまわないで」

を予定しています。

 

 

 

 

 

 

 

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投稿日2017.07.14
朗読コラム  

わかろうとしないで

 

クラシック音楽を聴いて「クラシックは難解で良く分からない」とおっしゃる方がいます。

私にはこの「分からない」が、分からないのです。

音楽を「分かる」必要があるのでしょうか。

そして、どうなったら「分かった」と言えるのでしょう。

子供の頃、私の家では、クラシック、カンツォーネ、シャンソン、歌謡曲、演歌、落語、浄瑠璃、浪曲、、、、、、、といった多種多様のレコードから、毎日、取っ替え引っ替えいろんな音が流れていました。

そんな家に育ったせいもあるのでしょうか。

何を聴いても「分かる」とか「分からない」などという感想を持ったことがありません。

何を聴いても親近感があります。

 

 

遊んでいる人の前でも、悩んでしまうなんて。。。

 

朗読教室に来られる生徒さんに、かるいタッチの言葉遊びのような詩を課題にすると

「これ、どういう意味なんでしょう。意味が分からないのでどう読んだらいいか難しい」

と、おっしゃって、作品となかなか仲良くなれない方が多くいらっしゃいます。

 

みなさん、たいへん真面目ですので、筆者が、機嫌良く目覚めた朝に、ニヤニヤと鼻歌まじりに著したようなふんわりした作品を前にしてさえ、腕組みし、しかめっ面してしまうのです。

私はこれ、国語授業の悪しき産物だと思うのです。

遊び心を前にしたら、こっちも遊びましょうよ。

どういう意味か、より、どう遊んで読もうかな。。と自由に発想してみましょう。

 

 

 

同様に

「作者の言いたいことは何か」

という考察も、朗読するに当たり、全くしなくていいことはありませんが、何通りもの解釈が可能な作品に対し、果たして作者の真意に迫ることが、朗読表現にとって必須なのでしょうか。

 

私はそう思いません。

むしろ、作品に自分のいろいろな空想を絡めて、ついでにアナザーストーリーを加味してしまう、くらいのことをやってのけていい!と、思います。

 

朗読は学問ではありませんし、まして、流儀などありません。

 

こういうのが「朗読っぽい」などという「型」を感じておられるとしたら、はっきり申し上げて、それは先入観です。

 

本当は何のスタイルも存在しないのです。

 

どうか縛られないでください。

 

 

芸術を「分からせようとする」働きかけは、私たちの学校時代の学び方にあった気がします。

一例を以前のブログでも書きましたが、私たちが受けてきた国語の授業では、作品を自由に楽しむ機会より、正しく理解することに重きを置かれていた気がするのです。

しかも、その「正しさ」は実は作者の不本意だったりすることもあるのです。

 

以前のブログ「鑑賞するということ」

 

 

少なからず柔軟な発想を削がれるように統制されてしまった私たちは、ちょっとは縛ってもらったほうが楽ってこともあるみたいですね。

お気持ちは分かります!笑

でもね、また、時間をかけて一緒に、やわらか頭を取り戻しましょうよ。

 

朗読は、いや、なにごとも老成

 

重度の認知症にかかっている後期高齢者の方が多く入居されている老人ホームで、ごく読みやすい短い文を朗読して頂くことがあります。

激動期を生き抜き、数え切れないご苦労をされて今がある方達です。

その方たちが朗読されると、一作者の想いという次元を超えた、もっとずっと尊い秘密が隠されているような作品に仕上がります。

私には殆ど完璧、と思える読み方です。

読んでくださる高齢者の方々には、作者の意図を汲もうなどと意識する気持ちも、上手にやって褒められようなどいう邪心もありません。

 

気ままで自由で、脱力したリズムや速度。

秘めやかで、しわがれていて、温かくて、安定した声の質。

すーっと心に入ってきます。真似しようと思ってもできません。

 

 

私もいつか人の心に沁み渡る朗読にたどり着けるのでしょうか。

もしその日があるとしたら、それは「こうあるべき」というがんじがらめの人生から、解き放たれたとき、はじめて到達できるのかもしれません。

 

 

 

季節の絵本も用意してお待ちしています

 

 

 

※このコラムは不定期に更新しています。

 

 

 

次回予告

「朗読するときの声色」

「自分に限界を作ってしまわないで」

 

 

などを予定しています。

 

 

 

 

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投稿日2017.07.9
朗読コラム  

お陰様で、朗読稽古屋ことつぎには、皆さんが本当にさまざまな動機で朗読を学びにいらしています。

 

体験レッスンで、ときどき、こういうお話を伺います。

職場でのコミュニケーションはメールばかり。社内連絡でさえそう。だから最近は、あまり人と話をしなくなってしまっている。

気がつくと、今日ほとんど喋らなかった。。

 

また、なにかの集まりで、複数の人の前で自己紹介や軽い雑談をするときに、声がうまく出せないことに、最近はじめて気づいた。前はこんなはずではなかった。

もっと届きやすい声にしたい。

 

そのような動機の方も教室にはみえます。

 

 

 

 

「話さない」

でいると、心身にどのような影響があるのでしょうか。

 

私は、できるだけ毎朝、短い初見の文章を声に出して読むのを日課にしています。

口元や頬の筋肉が重く、つっかえたり、言い淀んだりして、少しずつだんだん調子が出てきます。

徐々に舌や頬の緊張感がほぐれ、張りのある音量になってきます。

また、読み始めは文字を追う集中力が散漫なせいで、内容を整理して表現したり、ストーリーに対しての自然な抑揚ができないのですが、そういう時間もやり過ごして読み進めていくうちに、やがて集中力が高まり、眼界が広がるようにもなります。

その頃には、身体が心底目覚めたような気分になります。

 

ところが、喉に違和感があるときや、寝込むほど体調が優れないときは、この日課が果たせません。

そんなとき、レッスンの予定も無いようですと、しっかりとした声をいちにち出さないことになります。

これが三日も続いたら、どうなるかと言うと、たちまち表情筋が思うように上がらなくなり、従って口の開き方が小ぢんまりし、声帯も硬く締まって声が出しにくくなってしまいます。

たった三日でもこうなのです。

ですから、それがもし1ヶ月も続いたら、、、と考えるとちょっとゾッとします。

多分、口角が下がり外見が硬化するのと同時に、換気口が閉ざされたような身体では、心の想いさえも出はいりしにくくなるに違いありません。

しっかり声を出さないと、心身ともに、表情が乏しくなる危険がありますね。

 

そこで、私は毎朝10分程度の朗読は、少々調子が悪くても、必ず行っています。

 

今読んでいるのは、こんなふる〜い本
今読んでいるのは、こんなふる〜い本

 

 

ただ話すだけでいいのか???

 

ふだん、食卓越しに家族にだけ話すような会話は、正しい発声法に着目していないどころか、むしろ声帯に負担をかけて声を出している危険があります。

ボソボソ話すときの声は、思いの外、声帯を絞るように出しているのです。

 

日本人は、本当に小声な方が多いですね。

迷惑をかけないような音量を、みんなでキープしています。

でも、この「小声」が実は、咽頭や声帯に余計な力が入っているのです。

そのままボソボソ喋りを続けていたら、喉の寿命を縮めかねません。

 

 

歌唱力のある人はやっている「鼻腔共鳴(鼻腔共鳴)」で話そう

 

鼻腔共鳴とは、鼻の穴から奥に広がる空洞を響かせて音を出すことです。

簡単に言えば、口を閉じてハミングする時の音ですね。

このとき、鼻の周辺のみならず、頭蓋骨もビリビリくすぐったいくらいに響いていると、音量が上がり、まろやかな音質にもなります。

うまく鼻腔を共鳴させながら発声すると、小声でも喉にばかり負担がかからず楽になる訳なのです。

鼻腔共鳴はわざわざ意識しなくても出来ている方もいらっしゃいますし、特に難しく考えることはありません。

教室で一緒にコツをつかみましょう。

 

 

 

 

歯磨きあとにおすすめ!ウチでもできる口周りのエクササイズ一例(複製を禁じます)

 

 

 

 

身体は繊細な楽器だと思ってください

 

座るときのお尻の付け方、足の置き場、肩甲骨、顎、舌、、、いわば全てが声を出すために必要なパーツです。

声を出すのに必要なのは、喉と口だけだと思っていませんか?

声は「身体」という楽器から発せられる音です。

どうか、大切に正しく使って、それからきちんとメンテナンスもしてください。

 

しっかりとした声を出すこと。

即ちこれは、全身全霊に目を向ける、ということでもあるのです。

 

更に、わたしにとって朗読は、文字を目で追うことにより、脳に覚醒の刺激を与える助けにもなっていると感じるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※このコラムは不定期に更新しています。

 

次回予告

「朗読に『作者の意図は何か?』は大切か」

「朗読するときの声色」

 

などを予定しています。

 

 

 

 

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投稿日2017.05.23
朗読コラム  

 

 

 

 

 

私が思う『文学作品』と『朗読』の関わりには三通りあります。

 

1  文字を追っていただけでは、これと言って感動を見出せなかったのに、声に出して読んでみると、命が芽生えたように訴えかけてくるもの。

 

 

2  黙読して興味深い上、声にすると感ずるところや気づくところが尚深くなるもの。


 

3  作品は面白いのに、声に出してしまうと、持ち味が低下したり異質になってしまうもの。

 

皆さんが、朗読会などを催されるときは、作品の世界観を効果的に分かち合えるモチーフを選ぶことをお勧めします。

 

 

 

 

では、選び方のポイントと、注意点について

 

 

●内容 1 ーたっぷり過ぎは聴き手のストレスです

朗読会に行かれたことのある方から、共通した感想を伺います。

「上手いとは思うけれど、情報量が多すぎてお腹いっぱいになる」

演者数や演し物が多く、それぞれが全て中身の濃い作品だと、聴いている人は鑑賞疲れしてしまうということです。

企画者は、演者数が多いときには骨格のあるしっかりした作品は少数にとどめ、詩や、平たい言葉で書かれた小作品などをバランス良く織り交ぜてはいかがでしょうか。

 

●内容 2 ー理解しやすい作品を

聴く方の鑑賞力にも着目してください。

芸術に精通している方の集まりは別として、趣味の会でのお客様は「朗読」に不慣れだったり、元より、聴いたり観たりすることに馴染みのない方もおられるはずです。

複雑な筋立てや、登場人物が多いような話では、聴いている人はストーリーを追うだけでもアップアップし、楽しんで聴く、ということへのハードルが高まります。

この作品は洒落ていて素敵だとか、こんな奇抜な作品を読んでみたいというオマージュや着眼点は間違いではありませんが、独りよがりな選別になっていないかどうかは考えてみるべきです。

自分が感じた以上のものを聞き手と共有できるかというところにこそ、朗読者の高い意識が必要なのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

●内容 3 ー手垢がついていないものが無難ではあるけれど、、、、

朗読を勉強しているからには、必ず読んでみたい「アレ」のふたつやみっつはあるのではないでしょうか。

ただ、それらは、他の方も既に何回となく演られていないでしょうか。

聴き手に比較する対象があるくらい広く知られた作品を披露するには、かなりの技量や斬新さが要求されるのは覚悟しましょう。

しかしながら「あー、またこれね」と最初から聴く気を減退させてしまう危険があるとは言え、いい意味で裏切って「やっぱり聴いて良かった!」と逆転させられたら、それこそ朗読者冥利に尽きますね。

オーソドックスな作品を朗読するときには、イメージを損なうことなく「自分だけのかくし調味料」を加味してください。

よほどの工夫を凝らすか、もしくは「熟れ(こなれ)感」を出して、安定の朗読をしてもらいたいです。

精進あるのみですね。

 

●内容 4 ー声にすると却って台無しになる作品もある

オノマトペ(擬音語、擬声語、擬態語)を駆使した作品があります。

表現練習の基礎ですから、当教室でも、教材として良く扱います。

ユニークに表現できれば、朗読に音響効果も加わったように立体的な作品になりますね。

 

一方、文字を目で追っていた方が、より奇想天外なオノマトペもあるとも思うのです。

「音=聴覚に訴える」オノマトペ、と「字=視覚に訴える」オノマトペがあり、後者を声に出すと、どんなに頑張ってもひどく貧相で陳腐になるようです。

作者のせっかくの自由奔放で無限な遊び心が、朗読者によってちっぽけなサイズの世界に縮小させられてしまう、と言っても過言ではありません。

朗読で扱うなら、オノマトペに限ってでなく「音」にした時に愉しい響きのある作品を選ぶのがよろしいかと思います。

 

 

 

 

●時間ー長いと集中できません

ビジュアル効果もなく、ひたすら声だけでの表現となると、よほど表現力豊かな演者の朗読であっても、聴き手の集中力が持続するのは、長くて20分くらいが限度かと思います。

また、小説には必ず、山場に移行するまでの「だれ場」があります。

※だれ場=クライマックスシーンまでの伏線や、本筋とは直接関わらない詩的な描写などで、淡々とした部分

もし、だれ場が10分もあれば、現代人のスピード感から鑑みたら、まどろっこしくて居心地悪くなってくるのが、自然でしょう。

いずれは、だれ場を退屈させずにどう聞かせるか、という醍醐味まで学んでほしいですが、人前で発表する際、初心者の方は、声に出して5分から7分くらいの読み物を目処にされるのがよろしいでしょう。

 

練習は、客観性を養うような方法で

本番さながらの朗読風景を記録して、観客の立場でチェックしてください。

スマートフォンの録画機能など、ごく簡易なもので構わないので、できれば映像で振り返るのがいいですね。

再生しながらチェックする際、ただ恥ずかしがって観ていたのでは何にもなりません。最初は誰でも自分の姿を見ることに違和感がありますが、何回もやっているうちに、いずれ抵抗なく、接せられるようになるものです。(録音についても同様です)

 

サークルで練習しているような方達も、発表会のお稽古のときは、本番前にできれば何度かは指導経験のある方に見てもらうことをお勧めします。

指導者からは、自分では気づけない魅力を引き出してもらえるでしょうし、そうなればより満足度の高い会に仕上がることでしょう。

 

 

 

限られた時間の中で、聴き手がフラストレーションなく、安心して楽しめる作品を探すことは、発表者にとって、むしろつらい作業です。

そうやすやすと、全ての条件に当てはまったものは見つからないからです。

けれども、その経験を積むことが、聞き手の心を推し量れる朗読者に、引いては、心に届く朗読ができる人を育てると思っています。

 

 

 

 

 

※このコラムは不定期に更新しています。

 

次回予告

「朗読は身体にいい?」

 

 

 

 

 

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