お陰様で、朗読稽古屋ことつぎには、皆さんが本当にさまざまな動機で朗読を学びにいらしています。
体験レッスンで、ときどき、こういうお話を伺います。
職場でのコミュニケーションはメールばかり。社内連絡でさえそう。だから最近は、あまり人と話をしなくなってしまっている。
気がつくと、今日ほとんど喋らなかった。。
また、なにかの集まりで、複数の人の前で自己紹介や軽い雑談をするときに、声がうまく出せないことに、最近はじめて気づいた。前はこんなはずではなかった。
もっと届きやすい声にしたい。
そのような動機の方も教室にはみえます。
「話さない」
でいると、心身にどのような影響があるのでしょうか。
私は、できるだけ毎朝、短い初見の文章を声に出して読むのを日課にしています。
口元や頬の筋肉が重く、つっかえたり、言い淀んだりして、少しずつだんだん調子が出てきます。
徐々に舌や頬の緊張感がほぐれ、張りのある音量になってきます。
また、読み始めは文字を追う集中力が散漫なせいで、内容を整理して表現したり、ストーリーに対しての自然な抑揚ができないのですが、そういう時間もやり過ごして読み進めていくうちに、やがて集中力が高まり、眼界が広がるようにもなります。
その頃には、身体が心底目覚めたような気分になります。
ところが、喉に違和感があるときや、寝込むほど体調が優れないときは、この日課が果たせません。
そんなとき、レッスンの予定も無いようですと、しっかりとした声をいちにち出さないことになります。
これが三日も続いたら、どうなるかと言うと、たちまち表情筋が思うように上がらなくなり、従って口の開き方が小ぢんまりし、声帯も硬く締まって声が出しにくくなってしまいます。
たった三日でもこうなのです。
ですから、それがもし1ヶ月も続いたら、、、と考えるとちょっとゾッとします。
多分、口角が下がり外見が硬化するのと同時に、換気口が閉ざされたような身体では、心の想いさえも出はいりしにくくなるに違いありません。
しっかり声を出さないと、心身ともに、表情が乏しくなる危険がありますね。
そこで、私は毎朝10分程度の朗読は、少々調子が悪くても、必ず行っています。

ただ話すだけでいいのか???
ふだん、食卓越しに家族にだけ話すような会話は、正しい発声法に着目していないどころか、むしろ声帯に負担をかけて声を出している危険があります。
ボソボソ話すときの声は、思いの外、声帯を絞るように出しているのです。
日本人は、本当に小声な方が多いですね。
迷惑をかけないような音量を、みんなでキープしています。
でも、この「小声」が実は、咽頭や声帯に余計な力が入っているのです。
そのままボソボソ喋りを続けていたら、喉の寿命を縮めかねません。
歌唱力のある人はやっている「鼻腔共鳴(鼻腔共鳴)」で話そう
鼻腔共鳴とは、鼻の穴から奥に広がる空洞を響かせて音を出すことです。
簡単に言えば、口を閉じてハミングする時の音ですね。
このとき、鼻の周辺のみならず、頭蓋骨もビリビリくすぐったいくらいに響いていると、音量が上がり、まろやかな音質にもなります。
うまく鼻腔を共鳴させながら発声すると、小声でも喉にばかり負担がかからず楽になる訳なのです。
鼻腔共鳴はわざわざ意識しなくても出来ている方もいらっしゃいますし、特に難しく考えることはありません。
教室で一緒にコツをつかみましょう。

身体は繊細な楽器だと思ってください
座るときのお尻の付け方、足の置き場、肩甲骨、顎、舌、、、いわば全てが声を出すために必要なパーツです。
声を出すのに必要なのは、喉と口だけだと思っていませんか?
声は「身体」という楽器から発せられる音です。
どうか、大切に正しく使って、それからきちんとメンテナンスもしてください。
しっかりとした声を出すこと。
即ちこれは、全身全霊に目を向ける、ということでもあるのです。
更に、わたしにとって朗読は、文字を目で追うことにより、脳に覚醒の刺激を与える助けにもなっていると感じるのです。
※このコラムは不定期に更新しています。
次回予告
「朗読に『作者の意図は何か?』は大切か」
「朗読するときの声色」
などを予定しています。