二子玉川駅より徒歩14分
世田谷区野毛にある
ウエムラアキコの朗読教室
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角掃き 隣の三尺
投稿日 2024年11月28日(木)
私はどうもお節介なところがあるので、あとになって
「あれは差し出がましかったかな……どうしたらよかったのかな」
と省みることがあります。
言い訳するようですが、この厄介な性格は遺伝に違いありません。
私の父、それから父方の叔母たちは、揃って皆、大なり小なりお節介者でした。
過日、朗読稽古の合間、家の中におりましたら、外から報知器らしきベル音がけたたましく鳴るのが聴こえます。
テストかもしれない、修理かもしれない、と気にするのをやめようとしますが、
ざっと15分くらい鳴り止まないのです。
しだいに怖くなってまいりまして、家の外へ出ますと、音というのは不思議なもので、マンションの壁面にぶつかったりするせいか、反響し、何処から聴こえているのか分かりません。
でも近くであることは間違いないのです。
顔見知りのご近所さんに相談しました。
その方は一緒に警音の出どころを探しに歩いてくれました。
すると、徒歩1分ほどのマンションからの音であることが分かりました。
建物からは火も煙も見て取れませんでしたので、まずはほっとしました。
恐らく誤作動と思われました。
それでも警報器は一向に鳴り止みません。
そのうち、ご近所の方もそろそろと出ていらして、人だかりができはじめました。
皆、どうしたものかと思っておられるようで首を傾げて「困ったわね」という顔をしています。
私もこんな時何が賢明なのかさっぱり分かりません。
すると、マンションの斜め前のお宅のご主人が心配顔でぼそっと言いました。
「部屋の中で倒れてるかもしれんな」
「自分で止められないのかもしれない」
えええ??
そんな……
私:「通報した方がいいでしょうか」
ご主人:「うん、何かあってからでは遅いよね。あなたしてくれる?」
私:「ええ……そうですね」
躊躇いましたが、やはり警察に相談の電話をかけることにしました。
「誤作動かとは思うのですが、警報器が鳴り続けています。どうしたらいいでしょうか」
「ありがとうございます。消防を手配しますね」
「いえ、あの、火事などの様子はないんです」
しかし、警察は、このような通報を受けたら必ず消防車を手配しなければならないそうなのです。
10分ほどすると梯子車が三台も(!!)来てしまいました。
さて、と……。
そのとき既に警報器は鳴り止んでいます。
火の手が上がる様子も、病人、怪我人が運び出される様子もありません。
消防隊員と警察官たちは一時間近くもマンション内を念入りに点検したり聞き取りしたりして、帰っていかれました。
通報者の私はとんだ人騒がせの源のような気分になり恐縮してしまいました。
けれども先ほどのご主人らから
「あなたみたいな人がいてくれなきゃ困るよ」
「ありがとね、感謝します」
と、言ってもらえたので、助かりました。
多くの隊員の手を煩わせたことを考えると、通報するのは、もう少し待った方がよかったのかとも考えました。
けれども全てが後手後手になり
「あのとき、こうしておけば……」
となるよりは、正しい選択だったのではないかと、私も後にはそう思えました。
「角掃き」
「隣の三尺」
このふたつの言葉は、いずれも
自分の家の前を掃除や雪掻きをするときに、少しだけ両隣やお向かいの家の前も掃いておく
という、ご近所づきあいでの距離の取り方を意味します。
前者は、京都独特の言い方のようです。
少しも手を出さなければ愛想がない。
やり過ぎればありがた迷惑。
程よく手出しし合うのが巧いおつきあい。
というわけです。
もともと人付き合いは難しいからこのような教訓が生まれたのでしょうが、現代の我々、特に首都圏の人間関係となると、更に悩ましいものを感じるときがあります。
お節介魂がすぐ発動してしまう私は、思えば、この警報器騒ぎのあとさきも、数多く出しゃばりました。
いい加減大人しくしていようと、よくよく反省していたある日、
件のご主人が突然訪ねてこられました。
「うちの庭の柿もらってくれない?」
大好物の初物を手渡されたそのとき、
すべて赦された気がした瞬間でした。